歴史の真摯さ
historical truthfulnessという問題提起はそれこそ真摯に受け止めたい。
ただし、ある歴史が真摯でないと言えてしまう立場はどこに求めるものなのか、今ひとつテッサの思考が一貫しているとは思えないのが不満。
“歴史への真摯さ”を問う
歴史とは物語である。しかし、それは誰が誰に向けてどのように語るものであり、さらには、ある出来事とその記憶が歴史化されてゆく過程において、人々はそれをどのように共有し受け継いでいくのか。著者は、こうしたプロセスにおける歴史の力学を重視し、その連累に「“歴史への真摯さ(historical truefulness)”が、すなわち、過去の出来事と人びととのあいだに開かれた、発展的な関係が必要」だと主張する。本書では豊富な事例をもとに、小説、写真、映画、漫画、インターネット上のウェブサイトやCD-ROM、博物館等といった広義のメディアを通じて流通/媒介し再生産される歴史の語り(ナラティヴ)に焦点を当てながら、人々の経験が構造化され「歴史化」する過程を読み解いている。 ここには、ナチス・ドイツのユダヤ人絶滅政策と絶滅収容所のガス室の有無を巡って繰り広げられた歴史修正主義論争や、その粗雑な再生産とも言うべき日本での「歴史教科書」論争でも見られたような、証明困難な歴史的事実の真偽を掛金に単一のナラティヴの正統性を争う不毛さに対する、極めて批評的な態度が貫かれている。 過去の出来事についての唯一完璧な「正しさ」や「真実」を語ることの不可能を限界として認めながらも、未来へと向けてそうした出来事への交渉可能性をつねに開き、継続的な対話を通じて私たちの現在と過去との関係を問い続けることこそがここでは問われているためだ(したがって、同時にそれは無責任な単なる相対主義ではあり得ない)。 本書は、過去の出来事と現在の私たちとの関係を見直し、人一人がそれぞれ主体的に新たな歴史へと参加する手懸かりを考えるための一助として非常に有益な一冊と言えるだろう。 また、メディア・スタディーズに関心のある興味のある読者にも、マリタ・スターケンの『アメリカという記憶』(邦訳:未來社、2004年刊)とともに薦めたい。
岩波書店
批判的想像力のために―グローバル化時代の日本 アメリカという記憶―ベトナム戦争、エイズ、記念碑的表象 辺境から眺める―アイヌが経験する近代 北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる 広島 記憶のポリティクス
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